区役所通り
私がホストになり始めの頃に起こった血液型ブームは、いつの間にか日本国内だけでなく、お隣の韓国でも市民権を得たようで、韓流全盛の頃に上映された血液型が題材の映画、『B型の彼氏(※)』は、韓国国内で5百万人もの観客を動員するほどの大ヒットを飛ばし、日本でも上映されて大変な好評を博した。
 
かく言うこの私も、吹替えではなく字幕スーパーで観たいが為に、わざわざ有楽町くんだりまで足を運んだ一人であった。

実際の彼は、常識と言う枠の中でしか現実が捉えられないA型なのに、マイペースで非常識で破天荒で在りながらも、ナイーブな感受性を内に秘めたB型男を見事に演じきったイ・ドンゴンの名演技と、それに振り回されるハン・ジヘが演じるA型女性の、どこまでも愚かに見える頑固な一途さには、この私も他の多くの観客と一緒に、散々笑わされ、最後には泣かされてしまった。
 
お世辞ではなく、この映画は、私が理解しているB型の最大特徴となる、一般的な常識などでは決して解釈することが出来ない、独善的な思考及び奇異にも見える行動パターンを、面白いほどの的確さを感じさせられるぐらいに、とても愉快に描かれていた。
 
前回紹介した、シャブ中で危険なホストとして、周囲から一目置かれていた飛鳥も、『覚醒』で紹介した、口先一つで非常に気難しい女性の恥部を、いとも簡単に人前に曝け出させてしまう屋敷も、そして、次に紹介する恋野(れんの)というホストも、呆れ返るほどに典型的なB型男であった。
 
横浜のナイトプリンスに入店して1年位の間に、様々な人との出逢いや別れを経験し、次に福富町のアマルフィというホストクラブへと仕事場を替えた私だったが、ちょっとした訳ありで、東京の深夜ホストクラブへ移ることになった。
 
古巣の歌舞伎町に戻ってから最初に籍を置いた、Sビル地下1階にあった老舗の深夜ホストクラブのアラミスは、入店後半年も経たない内に経営に行き詰ってしまい、早々に店を閉めるという噂が流れたため、そこで知り合った4人のホストたちと、鬼王神社そばに新しく開店したサザンクロスに移ったが、この店の経営者がアラミスの経営者と懇意の由で、5人の入店に対して脅迫じみた物言いを付けられ、2週間も経たない内に他店に移らねばならぬ羽目になってしまった。
 
そうした経緯の後に、新宿バッティングセンターの裏手にあったヌーベルアムールという店に勤めることになった。数ヶ月が過ぎ、その店の雰囲気にも慣れてきた頃には、一緒に入店したホストたちとは殆んど付合いもなくなり、全く毛色の違うホストたちと仕事をするようになる。
 
ヌーベルアムールでは、少ないもので数人、多くなると20人近くものホストで構成する、グループと言うものが組織形成されており、気が付いた時には私も、いつの間にか一つのグループに所属する容になっていた。
 
この頃になると、ある程度の数字(売上げ)を出せた私は、80人以上ものホストが在籍するこの店で、常時、売上のベスト10に名前を連ねており、最高時には、No.3の位置まで来ていた。そんな頃に知り合った、恋野という店名の、前記のイ・ドンゴンとほぼ変わらぬ容姿を持った美形ホストは、この先、何年間にも渡って、数え切れないくらいに、いい意味でも悪い意味でも、この私や周りの者を驚かせてくれた。
 
一度リズムに乗ろうものなら、周囲にいる多くの人間を自分のワールドに引込んでしまう、自由で陽気で闊達な話術。どうしても手に入れたいと思ったものは、ありとあらゆる方策を練って、殆んど掌中に収めてしまう叡智で迅速な行動力。したいと感じた時には、場所と相手を選ばない、淫靡で奔放で放縦な下半身。
 
まずは、下半身の話からしてみよう。深夜12時から早朝5時半までの営業時間中に、彼は店舗の周辺で、その時に来店したお客を連出して、様々な場所で情交に及ぶことが時々あり、多くはその店が入っているビルの屋上や、いつ人が通るか分からない同ビルの非常階段でも、また、来店している客が多い日にも、店のトイレ(当時は和式)で立ったままの交接に及んだこともあった。
 
慰安旅行においても、天皇陛下がお泊りになられたこともある、有名な高級ホテルでの宴席中に、接客で来ていた美麗なコンパニオンを、その日は使用されていない真っ暗な大広間に連れて行き、布団代わりに座布団を敷いて、その上で情交に及び、宴席に戻ってきた後で、その指の香りを周りの者に嗅がせ、私や他の者を、呆れさせるほどに驚かせた。

偶然なのか、その時のコンパニオンもB型だったせいで、そんな行為に及んだのかどうかなど私には分からないが、東京に戻って半年後位にその彼女が、ミス〇〇として、新聞に大きく写真が掲載されているのを見つけた私は、皆のいる前で、彼にその新聞を見せたところ、苦虫を噛み潰したように、嫌悪感むき出しの表情になっていた。彼の意識の中では、慰安旅行中に及んだ行為が、その時には非常に恥ずべき過去の出来事と思えたのだろうか、これも私には全く理解が出来ない態度に思えた。
 
No.1に対する執着心も異常なまでに強かった。
 
恋野と知り合った頃、私とは違って、彼の客層は風俗嬢が大半を占めていた為、相当な指名個数を取らなければ数字が伸びず、月の半ば位まではトップに着けていたグラフ(売上表の棒グラフ)が、月末近くになると、太い客を持っているホストに、いとも簡単に引っ繰り返されてしまうということを幾度となく経験していた。
 
動員出来るだけのお客を全て動員して、初めてNo.1の座を掌中に収めた時の、これ以上はないだろうと思える喜色満面な表情と、それが、たった一ヶ月で終わってしまった時の、とことんまで憔悴しきった相貌が、未だ私の中に強い印象として残っている。
 
そんな彼を、真のNo.1ホストへと大きく飛躍させたのは、一人の韓国人女性であった。日本経済がバブル景気を迎えた頃、お隣の韓国や台湾などから、数多くの女性たちが留学生というかたちで入国し、新宿や赤坂などの歓楽街で水商売をして、外貨を稼ぎ出していた。

やや大人し目に稼ぐ台湾女性たちとは異なり、その当時の韓国女性の商売のやり方は、阿漕なまでに徹底しており、バブル景気に沸き返る日本の、助平な中高年男性の財布から、湯水の如くに金を使わせる技に長けていた。
 
そんな韓国クラブの一店舗を経営する、美貌に溢れたオーナーママの一人が、ある時、彼に一目惚れをした。初めての指名から、ヘネシーXO(店売り10万円)のボトルを入れ、毎日のように来店を重ねる内に、いつの間にかそのボトルが、レミーマルタン・ルイ十三世(同40万円)に変わり、歴代No.1の売上記録を大きく凌駕していった。
 
その後の彼は、この店で半年以上に渡ってNo.1を誇示し、No.2以下を牽制する為か、月末にルイ十三世のボトルを7本も同時に取り、それらを全てケースに入ったままの状態で、テーブルの上にうず高く積み上げるといったような、今思えば、実に幼稚な行為とも見えるパフォーマンスを演じたりもしていた。
 
そして、銀座のホステスでも滅多に聞かないような、一千万円という破格の支度金(契約金)を受取り、赤坂に新規開店するネオレディースという高級店に引抜かれ、その店でもNo.1を張り続け、芸能人とも浮名を流すようになっていった。
 
余談とはなるが、この一千万円もの支度金を恋野に支払った、ネオレディースのオーナー、村雨(むらさめ)氏もまた、ホスト時代から経営者となったその時以降に渡り、一般人の常識では捉えられない数多くの逸話を残している、典型的なB型の一人であった。

※B型の彼氏
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