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パチンコ店の有線放送が、前年のヒット曲、『天城越え』を歌い響かせている中を、彼は全力で疾駆した。
 
必死の形相を面に表わして、一直線に大久保通りを走り抜けようとしていた。
 
後ろからは甲高い声で、その逃走を阻むようにと、けたたましく叫ぶ女性。
 
彼の右手には、しっかと握られている出刃包丁。
 
そして左手には、数束の帯付一万円札が入っている女性用ハンドバッグ。
 
烈火の如くに疾走する彼の眼前へ、勇猛に立ちはだかった若い男。
 
どけ! と喚き散らす彼の足首に、その男の払い蹴りが一閃した。
 
次の瞬間、もんどりを打ってアスファルトに全身を叩きつけ、悶絶する彼。
 
駆け付けた警官は、強盗の現行犯として、彼に手錠を掛ける。
 
翌日のニュースとワイドショーでは、空手の有段者であった若い男が、一躍にヒーローとして脚光を浴びていた。
 
凶悪な強盗犯として、留置場でうなだれながらも、どこかほっとした表情をしていただろう彼。
 
その凶悪犯も、こんな事件を起こす10年前は、間違いなく、売れっ子ホストの一人だった。
 
Ⅰビル地下2階のジェントルで、彼、佐伯(さえき)に会ったときの第一印象は、やや肥満体で酒好きの、矢鱈に陽気なホストであった。
 
私と一緒にコマ劇場裏のラムールから、このジェントルに移ってきた、志摩(しま)というホストと彼が相番指名になった時に、ヘルプとして彼らの席に座った。
 
F会館から区役所通りを挟んで向いのビルに店を構える、高級クラブ・アレクサンドルのホステスが3人で飲みに来ていて、その中のリーダー格、静香というホステスが佐伯を指名していた。
 
佐伯は元銀行員だと聞かされていたが、その割には何処かだらしのない雰囲気で、無責任な発言が多く、眠剤(睡眠薬、この頃はネルボンやベンザリンが主流)を常用しており、虚ろで定まらない視点を彷徨わせたまま仕事をしていることが多々あった。
 
類は友ではないだろうが、彼のお客たちも実にだらしがなく、涎を垂らしたまま居眠りをする、世間擦れした中年女性も居たぐらいだ。
 
眠剤の飲み過ぎかどうかは判らないが、ある時、頬の内側にたこ焼き大の内出血をしていたが、なにも考えずに噛み潰し、吸血鬼のように口内から血を吹出して、ニタ~と笑っているときは流石に不気味だったが、どこか憎めないタイプの男であった。
 
彼一流の話術には妙な説得力があり、私も一度、彼の口車に乗せられて、眠剤とブランデーを一緒に飲まされたことがあったが、数十分後にはラリってしまい、常軌を逸した行動をとる自分を意識しながらの、狂気に向っていた。
 
店を出た後の記憶は全くないが、翌朝、自分のアパートで目覚めたときに、顔中が血まみれになっていたことから推察して、何かとんでもない事をしでかしたような気がする。

志摩から聞いた話によれば、店が終わった後、アレクサンドルのホステス3人組と、佐伯のマンションへ行ったときに、その場の雰囲気から、彼女たち3人は裸同然となって雑魚寝をしたとのことで、この時、志摩の存在を無視しているのかいないのか、佐伯は彼の眼前で、いきなり静香と始めてしまったそうである。下半身のだらしなさも、ここに極まれりといったところだ。
 
私が身体をこわした原因の何割かは、この男のせいかとも思うが、この店を辞めて実家へ戻り、数年後、横浜でホストを再開したのちに、歌舞伎町へ舞い戻ってから、三軒目となるヌーベルアムールに、この男が勤めているのを知った時には驚かされた。
 
ただし、ホストではなく、店長としてであり、元銀行員という肩書きが、この店の経営者に気に入られたのだろう。
 
しかし、こんなにも適当でいい加減な男に、ほんとうに内勤が勤まるのかと思っていたら、案の定、数ヶ月後には使い込みで解雇処分になっていた。
 
なんでも、連日ポーカーゲーム(※)屋に通い詰めて、店の売上を夜間金庫へ入れずに、自分の懐へ入れてしまったとのこと。
 
さらに、その数年後の出来事だった、彼が強盗で捕まったニュースが報道されたのは。店を解雇になっても、ポーカーゲームが止められずに、複数のゲーム屋に借金をし、その為、ヤクザからの追い込みをかけられて、どうにもならなくなっていたとのこと。
 
多くのホストが、散々につぎ込んだポーカーゲームではあったが、ここまで自分を見失って、のめり込んだ最低の人間は、私の知っている限りでは彼しかいない。
 
メディアの報道でも、会社の金を横領したものもいれば、自殺者まで出したポーカーゲームではあるが、このゲームは決してギャンブルなどでは無く、全てが店側で操作されているのだ。
 
フルハウスやフォアカード、ストレートフラッシュなどのどんな手役でも、全て機械が、いや、機械を操作する人間が決めているし、ダブルアップという、数字の大小を当てることで勝金を倍々にしていく付録的なゲームも、全て機械が、つまり集積回路(ゲーム店側は石と呼ぶ)が当たり外れを操作するのだから、絶対に勝てるわけが無い。
 
後年にはリモート操作も出来たそうで、店内からだけではなく、遠隔地からの機械操作も可能であったとのこと。
 
私は運が良かったのか、本業以外にゲーム屋も経営しているお客がおり、多くの裏話(警察との癒着なども含めて)を聞かされていたので、様々な賭け事に嵌まった私であったが、この、悪魔のようなポーカーゲーム機だけには、のめり込まずにすんだ。
 
ヤクザによる、毎日のような厳しい取立てが続く中、ついには自分を見失ってしまい、出刃包丁を懐に忍ばせて、明治通り沿いにある銀行の入口付近から店内を窺がい、窓口で大金を下ろした女性に目星を付けて、後を着ける。
 
心臓が耳元で鳴り響く音を聞きながら、その女性に出刃包丁を突き付けて、ハンドバッグを奪い取り、そのまま全力で逃げ切るつもりだった。
 
翌日、その頃に私が在籍していたラムールでは、この話題で持ちきりとなり、お調子者のホストの口から出た、「カール・ルイス並の速さで逃げたそうじゃねえか!」という冗談に、彼の肥満体型を知っているホストたちは、腹を抱えて馬鹿笑いをしていた。
 
佐伯には妻子もいたそうだが、その後、どうなっているのだろうか。
 
せめてもの救いはと言えば、脅かす為に握り締めた出刃包丁で、被害者の女性を刺したり、殺したりせずに済んだことであろう。

※ポーカーゲーム
 

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