涙
嘘と涙は、神が女に与えた最大の武器である、と昔から言われているが、この二つの武器は、ホストにとっても最高の切り札となる。
 
今回は、多くの週刊誌や月刊誌、また、テレビなどにも多々取り上げられたことがある伝説的なホストが、実際には、どのような容で、お客のハートを掌握するのか、私が現場を目撃した中で、最も印象に残っているものを紹介してみよう。
 
横浜から、歌舞伎町に舞い戻って最初の店、Lビル地下のアラミスには、他店で長期に渡ってNo.1を張り続けて、ホスト常務として引抜かれて来た有名ホストの、伊勢(いせ)という男が勤務していた。
 
新人の頃より、内勤及び先輩ホストたちから、様々な評判を聞かされていた、当時のホスト界では知らないものがいないぐらいのNo.1ホストなので、一応は失礼の無いようにと、入店後、直ぐに挨拶に行った。
 
異様なまでの鋭い眼つきと、妙に咽喉元へ比重をおいた声色ではあったが、見た目の雰囲気とは違い、意外と気さくな感じで挨拶を返された。
 
次に会った時、よかったら座ってよと、彼指名の席に呼ばれた。
 
その席のお客は、非常に上品な風情を漂わせた女性で、上質の和服を身に付けていた。彼女の着こなしは、新宿や銀座のホステスなどと比べれば、妖艶さや派手さは無いが、その分、清廉で高貴な煌きを醸し出しており、その優しそうな表情とは裏腹の、気位の高さも十分に感じ取ることができた。
 
伊勢の気の使い方を見ると、最近出来たばかりのお客のようで、彼自身が如何に凄いNo.1であったかと、様々なエピソードを面白おかしく説明したり、さり気なく苦手なものなどを伝えて、安心感を与えたり、簡単な手品をやって軽く驚かせたりと、様々な小技を使ってテーブルを盛り上げていた。
 
私の目から見て、この頃は、どこか気さくな感じの、友達営業での接客態度に思えたが、彼としてみれば、このままで終わらせてなるものかと、ひたすらにチャンスを狙っていたのかも知れない。
 
私が彼女の席へ座るようになってから、何回目のことだったかは憶えていないが、その夜の彼女も、いつものように、清廉な上品さを漂わせて、薄っすらと微笑みながら、その場の雰囲気を愉しんでいた姿だけは、よく憶えている。
 
しばらくの間、盛り上がっていた話題が、ふと途切れた時だった。彼女が、演奏しているバンドの方へと目をやり、その中央でマイク片手に歌い続ける男を見て、「素敵なヴォーカルね」、と呟いた。
 
その瞬間だった、伊勢の眼光が、異様に鋭さを増したのは。そして、優しげな表情の笑顔を彼女に向けて、「ヴォーカルが気に入ったなら、席に呼んであげるよ」、と言って、新人のヘルプに、その旨をバンドに伝えるようにと指示を出した。
 
それを見た彼女は、「そんなつもりで言った訳じゃないから、わざわざ呼ばなくてもいいわよ」、と強い口調で拒んだが、彼は、遠慮するなよ、と全くに聞く耳を持たなかった。しばらくして、バンドの交代時間になると、直ぐさまヴォーカルが挨拶に来た。
 
その刹那、伊勢は立ち上がり、ヴォーカルに対してはにこやかに挨拶を返し、後を宜しく、と言い、私たちヘルプにも座を外すようにと促して席を離れた。
 
そのまま階段前の通路へと行き、そこで腕組みをして何かを考えているかに見えたが、しばらくすると、何かを決意したような厳しい表情となり、私を呼び、彼女に階段の上へ来るように伝えて欲しいと依頼した。
 
それを受けた私は直ぐ様に、ヴォーカルと二人きりになっている彼女の席へ行き、彼が店の外で待っている旨を伝えて、その場所まで案内した。
 
区役所通りは深夜でも人通りが多く、何人もの男女が行き交いする中に、こちらへ背を向けた状態で伊勢は立っていた。
 
私は後ろから、大きな声で彼の名前を呼び、彼女が来た旨を伝えた。それを聞いた伊勢は、おもむろに振り向き、私を見てうなづくと、直ぐに彼女の方へと向きを変え、饒舌な彼らしからぬ、妙にしどろもどろな口調で声を発した。
 
「な、何やってんだよ」
「何やってんだよって、何がよ?」
「俺に... 恥を掻かせたじゃないか」
「恥なんか掻かせてないわよ!」
「ヴォーカルと、いちゃいちゃしてたじゃないか!」
「なにを言ってんの、頼みもしないのに、勝手にあなたが席へ呼ぶから、しょうがなしに話し相手になってただけよ!」
 
彼女が話しを続けようとした次の瞬間だった。伊勢の右手が彼女の頬を、周囲に音を鳴り響かせ、力任せに張り飛ばしていた。
 
「何すんのよ! あたしは主人にだって、ぶたれた事が無いのよ!」
「俺の気持ちを何故わかってくれないんだ!」
「こんなことして、ただで済むと思ってるの、あたしを舐めるんじゃないわよ!」
 
その時だった、伊勢の双眸から、溢れるように涙が流れ出たのは。
 
「俺は、お前を喜ばす為だけに一生懸命やってるだろ! 他の誰でもない、お前だから、俺はこんなに気を使ってんじゃないか! 俺… お前には本気なんだよ!」
 
涙を流しながら、声を振り絞るように語り続ける伊勢。それを、険しく凄んだ面持ちで睨みつけていた彼女の表情には、いつの間にか変化が現れていた。
 
「…それなのに、あんなヴォーカルなんかと…」
 
ふと気が着くと、あれほどに憤って凄んでいた筈の彼女の双眸からも、感応の涙が溢れそうになっていた。
 
「もう、バカね。だから、そんなんじゃ無いって言ってるでしょ」
「奴のこと、素敵だって言ったじゃないか」
「意味が違うの。そのぐらい分かってよ。あたしにとっても、あなたは特別な存在なんだから」
「俺、お前のこと信じていいんだな?」
「さあ、もう泣くのはやめて、お店に戻りましょ」
 
優しく微笑みながら、ハンドバッグからハンカチを出して、伊勢の涙を丁寧に拭う彼女。駄々っ子のように拗ねた表情で、それを受け容れる彼。その後の二人は、寄り添うように店の階段を降りていった。
 
あっ気にとられて二人の諍いを見ていた私も、すぐに店へと戻ったが、気まずさも手伝って、その日は彼女の席に座らなかった。
 
数日後に伊勢は、鼻を膨らませながら、彼女が彼に四千万円渡すことを条件に、ホストを辞めないかと持ち掛けてきた話を、自慢タラタラと私に披瀝してきた。
 
いかにもと言えるぐらいに、どこまでも幼稚で、実に陳腐な、あんなにも臭い芝居を、彼女は本気にしていたのだろうかとも思ったが、自信に溢れた彼の表情からは、嘘偽りなど微塵もないことを理解させられた。
 
もっとも、数年後には私自身も、この時の伊勢の行動を手本として、太いお客のハートをしっかりと掴ませて貰うことにより、彼女の方から、何千万円かの金額を、短期間の内に都合してきたこともあった。
 
ただし私の場合は、こんなにも人通りの多い場所ではなく、そのお客のマンション内で、唯々真剣に演じたことだけは付け加えておく。


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