幽霊 
人生を積み重ねて行く中で、時として人間は、決して理屈などでは推し量れない事象に出遭うことがある。霊体験もその一つであろう。
 
私が籍を置いたホストクラブの何軒かにも、そうした幽霊話が存在したが、実際のところは、営業時間が深夜ということもあり、酒を飲んだり、薬を服用することで、ある種の幻覚を見た者が多いのではないだろうか。
 
当時はコマ劇場裏のBビル地下一階にあって、私が新人として勤めたラムールは、それよりも何年か前、歌舞伎町進出の喜びに湧きながら、新規開店の準備を済ませた夜に、店内を全焼させる火事を起こした。
 
連日の開店準備に追われて疲れがたまっていたのだろうか、客席のソファで寝ていた為に、燃え盛る炎に巻き込まれて焼け死んだ一人の従業員が、開店後の数年を経てから、ステージで演奏するバンドの脇に、時々焼け爛れた姿で現われると言われるようになった。
 
残念ながら、私がその店に在籍するあいだ、彼の姿を見たことは一度も無く、また、それを見たというホストにも遭ったことが無い。
 
その頃の私は、おそらく火災現場を見た人間か、あるいは葬儀に参列して、見るも無残な姿となった彼の焼死体を拝んだ人間が、ある種のPTSDとなり、意識の底に強烈なイメージを残してしまい、営業時間中に、ほろ酔い加減でバンドの演奏に聞き入り、気が付くと、脳のアルファー波が強くなった状態での、幻覚を見たのではないかと思っていた。

『巣窟』で詳しく説明したが、横浜のナイトプリンスは地下一階が店舗であり、その控室は同じビルの四階にあった。
 
私が控室を利用するようになって間もなくだったと思うが、高倉という古参のホストから、その部屋には時々、女性の幽霊が現れると聞かされた。またかと思った私は、そんな話は軽く聞き流して、直ぐに忘れてしまい、気が付いた時には数か月の時が流れていた。
 
その夜の私は、前日のお客との付き合いもあり、全身の気だるさから、何度も押し寄せてくる睡魔に襲われていた。
 
この時、控室にいたのは私と、ベテランではあったが全くお客の付かない、気のいいホストの美崎だけだったので、普段は飛鳥が使っているシュラーフザックを借りて入り、ソファへ横になって、部屋の電気を消させてもらうことにした。
 
どのくらいの時間が経ったのだろうか、何とも言えない、静寂が肌に沁み込んでくるような妙な感覚を、全身に感じる中で目が覚めた。
 
薄ぼんやりとした視界を凝らして眼前を見ると、私の顔を覗き込むようにして、一人の女性が立っていた。
 
年齢でいえば三十路を越えたぐらいに見え、細身の身体で、薄桃色のドレスのようなものを羽織っていて、やや厚めの化粧をしている為なのか、透き通るような白い肌をしており、私に対して、薄っすらと笑みを浮かべた表情で、何かを言いたげにしている様子に思えた。
 
目覚めたばかりの朦朧とした意識の中で、たぶん彼女は、この控室を常用しているホストの誰かに会いに来たのだろうと思った私は、今は自分ともう一人のホスト以外には、誰もいない旨を告げようとした。
 
ところが、その言葉を伝えようとした私の前で、彼女の姿は透明度を増していき、しまいには全くとして、その姿の、影かたちすらも見えなくなってしまった。
 
一瞬は唖然となったが、前日からの疲れもあり、おそらく、照明を落とした漆黒の闇の中で、疲労から来る異様な幻覚を見させられていたのだろうとの自己解釈をして、再びの眠りに就くことにした。
 
それから、また、幾ばくかの時間が流れた頃。異状なまでに重苦しくなった胸と、妙に息苦しくなった呼吸を覚えた私は、二度目の目覚めを迎えさせられた。
 
目蓋を開いて前方を見やると、先程と全く同じ姿をした女性が、寸分も違わぬ姿勢と表情で私のことを見つめていた。
 
前回よりは意識もしっかりしており、闇に包まれた部屋の中で、彼女の姿だけが鮮明に浮かびあがっている事に気づいた私は、大声で悲鳴を上げて、シュラーフザックから飛び出すと同時に部屋の灯りをつけた。
 
やはりと言うか何と言うか、煌々と照明の点った控え室の中では、彼女の姿を確認することが全く出来なかった。そのまま自分のロッカーを開けると、大慌てで、トレーニングウェアからスーツに着替えて、地下一階までの階段を一気に駆け降りた。
 
恐怖の余りに顔一面が冷や汗で覆われていたのだろうか、怪訝そうな顔で私を見たマネージャーの東雲は、何が起こったのかと問いただして来た。
 
私は必死の形相で、つい先程に控え室で起きた出来事を、どうしても早口になるのが抑えきれずに、捲くし立てるようにマネージャーへ説明するのが精一杯だった。
 
東雲は落ち着き払った口調で、また出たんですかと、いかにも当然の出来事であったという表情で、私を諭すような態度になっていた。事実、私以外にも、女性の幽霊を見たと言うホストが、これまでに何人もいたとのことだった。
 
その翌月行われたミーティングでは、この一件も議題として取り上げられ、何人ものホストが見たというのだから信憑性も高く、ここは御祓いをして、その霊を静めるべきではないのかとの意見も出たそうだ。
 
結局は女性オーナーの、その幽霊とやらが店に出るならば、お客様への影響も考えて、なんとしても対処をすべきであろうが、今までに霊が出たという場所が、ホストの控室なのだから、碌に店へ顔を出さずに控室へ入り浸っているホストには、実際、いい薬になる、という発言で、御祓いの話は立ち消えた。
 
この話には余談があり、数週間あとに、私よりも前にその幽霊を見ている、松村というホストから仔細な話を聞かされた。
 
彼も私と同じように、控室の電気を消して、ソファに横になった状態で、その女性の霊を見たそうだ。この時、松村が説明した幽霊の姿は、私が見た女性の霊と比較しても、ほとんど同じものに思えた。ただ、私と松村の間には、決定的な違いが一つだけあった。
 
私が見た幽霊と思われるものは、それまでに一度も会ったことが無く、全く記憶に無い女性の顔であった。しかし、ナイトプリンス以外にも横浜のホストクラブを何店舗か移った経験のある松村は、その霊の顔には見覚えがあると言うのだ。
 
さらに続けて、彼がナイトスチュワードにいた頃に、飛鳥を指名で来店していたレストラン経営者の奥さんを見たことがあるが、その女性と、実によく似ていると言った。
 
その女性とは、『巣窟』でも紹介したが、覚醒剤を打った状態で、飛鳥のマンションで無残な焼死体となって発見された、実に哀れな女性のことである。
 
もしも、その話が真実ならば、普段から控室のソファで、シュラーフザックに包まって寝ている飛鳥に逢いに来たのではなかろうかとの考えが、私の意識の中で強い思念となった。それゆえに、飛鳥のシュラーフザックに包まり、彼が普段から寝ているソファで熟睡していた私の前に現れたのだとしたら、実に納得がいく。
 
この霊体験からしばらくの間、その時の恐怖感が拭い切れず、控室に立ち入ることが出来なくなった私は、数週間に渡って、店の近所の喫茶店で、お客待ちの時間を過ごす様になっていた。
 
その後、飛鳥が電柱に頭を激突させるという、悲惨なバイク事故で亡くなったことも『巣窟』に記したが、この事故は、もしかしたら彼女の霊が、彼の魂を、向こうの世界へと惹き寄せたのではないかという考えも、今の私の意識の中から、どうしても拭い去ることが出来ない。
 
あの夜、その控室で見たものは、真実、幽霊であったのか、それとも、単なる疲労から来る幻覚であったのかは、私自身で判断することなど到底できそうに思えない。
 
しかし、この事だけは、心の底から明瞭に断言できる。私は間違いなく、彼女の顔と全身の姿を、はっきりと眼前に見据えたのだ。
 
そして、その端麗な顔立ちから、薄っすらと笑みを浮かべた優しげな表情を、あれから三十年以上もの時を経た今に至っても、全くとして忘れることが出来ないのだ。



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