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『B型』で紹介したように、歌舞伎町ではF会館近くにあったLビル地下のアラミスを皮切りに、鬼王神社そばのサザンクロス、そしてバッティングセンター裏のヌーベルアムール へと移っていった。
 
そうこうする中で、深夜ホストの客層(主に風俗やホステス)に若干疲れを覚えたのか、当時、早い時間で百人以上のホストが在籍していた、吹き抜け地下二階の大型店、銀座すずらん通りのフロリダにも籍を置いてみるが、時代の移り変わりには勝てなかったのか、私の入店後、ほんの数ヶ月で店を畳んでしまった。
 
それをチャンスと見たのか、Aビルに移転していた、ラムールでも早い時間の営業が始まった。
 
ラムールのオーナー、神野の読みでは、フロリダから数十人のホストが転籍してきて、銀座の高級店に通っていた多くの上客を、新宿にも呼び込んで、どこまでも治安が悪いといった、それまでの歌舞伎町のイメージを払拭させることであった。
 
フロリダでナンバーを張っていたホストたちの、何人にも声をかけて、鳴り物入りでの開店を迎えたが、その初日に入ったお客は、わずか三組であった。その三組の内、神野の知人が二組であったから、実際にホストが呼んだ客はたったの一組だった。
 
何十人もが、銀座から移って来ると睨んだ、直江の読みは物の見事にはずれ、多くのホストは、六本木のホテルアイビス裏に開店したカサブランカに移ることとなり、その為か、フロリダからラムールに転籍したホストは、わずか数人だけとなった。
 
連日のように、閑古鳥が鳴き続けて数週間が過ぎて行くなかで、背に腹は変えられぬと、この、転んでもただでは起きないオーナー、神野が打った次の手は、支度金を用意しての、数字を出せるホストのスカウトであった。
 
一般的に深夜ホストの場合、支度金やバンスを使って売れっ子ホストを集めることが常道であるが、早い時間のホストに於いては、基本的に保証が無いこともあって、そうした手段を取る事など、通常は考えられなかった。
 
そうして集められたホストの中に桐生もいた。神野との義理もあったのか、それとも男気からなのか、彼は、その閑散とした店に、連日連夜とお客を呼んだ。お茶を挽いているホストにも気を配り、一人のお客に、十人以上のヘルプを付けることなども、当然のように行っていた。
 
彼の存在が呼び水になったのか、少しずつではあったが、ホストも増え始めて、本番のお客も入るようになって行き、早い時間営業としての地位も確立していった。
 
同店の深夜に籍を置いていた私にも、サザンクロスで知り合い、銀座フロリダを紹介して貰ったホストで、ラムールの早い時間のホスト常務として勤務していた副島の、どこまでも押しの強い勧奨に折れて、ついには早い時間から出勤することとなった。
 
そうして、早い時間でも働き出した私は、コマ劇場裏にあったラムールを辞めて以来、優に七年ぶりに桐生と再会した。振り返ってみれば、私が初めて桐生と言葉を交わしたのは、ホスト界に身を置いてから、二週間ほどが過ぎた頃だった。

真っさらの新人として入店した当初の私は、生来のお調子者であった所為か、かわいがって貰える内勤もいたが、それとは反対に、態度が生意気だとして、強面の先輩ホストに殴られることも度々あった。
 
様々なホストの指名席に、内勤から呼ばれてはヘルプに着き、若気の至りから来る失敗なども度々繰り返したが、それでも、入店して十日も過ぎた頃には、どうにかこうにか、ホストとして様になってきたのだろう。内勤だけではなく、先輩ホストたちからも、直接、席に呼ばれるようになっていた。
 
その日は、交友関係の広さからか、営業時間中にもかかわらず桐生は外出していた。新人ホストや売れないホストとは違い、ある程度の数字を出せれば、出勤時間さえも自由になるのが、ほとんどの深夜ホストクラブの営業方針であった。
 
そんな所へ、桐生を指名して、彼の友人という男性客が、二人の女性を連れて来店した。指名者が不在で、他に適当なヘルプホストが居なかった為か、内勤は手の空いてる私に、その席へ座るよう指示を出した。
 
磯崎との軋轢を見せられた時から、桐生というホストに一目を置いていた私は、何を思ったのか、普段以上に愛嬌を振り撒きながら、三人のお客を相手に、饒舌なまでに下らないジョークを重ねて、その場を持たせようとしていた。
 
男性客の方は、いささか厭きれた素振りで私を見ていたが、女性客二人のうち、どこかしら、当時の人気女優、梶芽衣子の雰囲気を匂わせている、美形の容姿を持った方の女性が、唐突にハスキーな声音をだして、「私、この人が気に入った。次から指名するからね」と言った。
 
しかしながら、それまでに指名を受けた経験など一度も無い私は、そんなものは単なるからかいだろうと判断して、適当に言葉を濁していた。男性客は、桐生が戻って来ないことに業を煮やしたのか、間を置かずに会計を済ますと、女性たちを連れてそそくさと帰っていった。
 
その日から数えて、三日後のことであった。内勤に呼ばれて、私を指名のお客が来ていると言われ、ひとつのテーブルへと案内された。

そこの席には二人の女性客が座っていたが、どちらの顔にも全く見覚えがなく戸惑っていると、片方の女性が、独特のハスキーボイスで、「約束どおりに、指名したからね」と、どこか小悪魔を想わせる面立ちの笑顔で、私に声を掛けて来た。
 
前回来店した時の少しくカジュアルな服装とは違い、艶やかに色香を漂わせたレディーススーツであった為に、まだまだ水商売に馴染んでいない当時の私には、そのお客が、三日前の女性と同一人物とは、なかなか認識できずにいた。
 
彼女は、源氏名を美羽子と言い、歌舞伎町の老舗高級クラブ、キングスガーデンの系列店で、F会館地下にあるベラドンナのナンバー2を張っていた。
 
高級クラブのナンバー2というプライドからなのか、指名の相手が、入店後わずか二週間目のド新人ホストの私であるのに、9割以上のお客がダルマ(サントリーオールド:当時6千円)を注文していたラムールで、レミーマルタン(当時3万2千円)をキープしてくれた。
 
経験を重ねることで女性の扱いを覚えて、ようやく指名に有り付ける、殆んどのホスト経験者たちと違った、どこまでも僥倖な初指名に対して、異常なまでに浮かれながらも、桐生の指名客の枝(同伴者)を引いた(お客にする)かたちの指名となる為に、当時のしきたりで、初回の指名は桐生との相番となった。
 
開店から二時間ほど過ぎた頃、いつものように桐生が出勤してきた。私との相番指名には、些か戸惑っている風にも見えたが、美羽子とは顔見知りのようで、彼女から桐生に対し、暫時の間、前回の来店で彼が不在であったことから、今回の指名になった経緯を説明していた。
 
初めて同じ席に座るばかりか、一緒の指名になったことも加わったせいで、それまで生きてきた二十年間の中で、最もテンションが高くなっていたのだろう。新人ホストから見たら大先輩の桐生に対し、平生にも増して、やたらと饒舌で馴れ馴れしく話しかける自分がいた。
 
そんな落ち着きの無い私に対して桐生は、空手の呼吸法、息吹に拠るものなのか、やや嗄れた低音でありながらも、どこか人なつこい口調で「よろしくね」と気さくな挨拶を返して来た。この時の桐生の表情は、まるで東映の仁侠映画の主人公を想わせたが、どこか、そこはかと無い、優しさを感じさせるものがあった。
 
その後、何回かは美羽子から指名をもらったが、やはり二十歳を過ぎたばかりの新人ホストでは、もの足りなさを感じたのだろうか、しばらくすると全く来店しなくなった。
 
それでも、偶然の産物ではあったが、初指名の切っ掛けとなった桐生に対しては、とても大きな自信を与えて貰ったことに、深く感謝の念を抱くようになっていた。
 
何しろ、その時期の私は、他の先輩ホストたちの、嫌がらせとも思える数々の指導や暴力に嫌気が差し始めて、ホストと言う稼業に、いいかげん見切りを付けようとしていたのだ。
 
しかしながら、自信と言うものは恐ろしいもので、美羽子が来なくなった後でも、次々と指名が掛かるようになり、銀座の一流店ヴァロアのNo.1、響子や、歌舞伎町のクラブ、アイビスのNo.1、毬子といった、売れっ子ホステスのお客が増えていった。
 
仲間と呼べるホストも増え始め、入店後、わずか一ヶ月で規定のノルマをクリアして、新人ホストを卒業した。なによりも嬉しかったのは、開店一時間前に出勤して、ホール内及びトイレ掃除をさせられる下働きから、一気に解放されたことだった。
 
そうした悦びの数々が、全て桐生に起因するような気がして、彼と同じ席に着いたときは、人一倍気を使うようになっていた。
 
実際、歌舞伎町の売れっ子ホステスの何人かが、様々な場面での、桐生の武勇伝を話題にすることもあり、やはり相当に名前が知れ渡っていることを改めて気付かされることもあった。ホスト稼業の傍らで、芸能関係の仕事もしており、ときおり有名歌手や女優が、桐生を指名して来店することもあった。
 
そうして桐生には、常に畏敬の念を払って接していたが、私がその店に在籍していた半年間の間、なぜか一度も、彼の指名席にヘルプとして呼ばれることはなかった。 

早い時間で再会した桐生は、以前にも増して、周囲から一目も二目も置かれる存在になっていた。また、コマ劇場裏時代に比べて寡黙になっており、そこはかとない無言の圧力を全身に漂わせていた。
 
隙の無い仕立てのスーツを身にまとい、文字盤が見えなくなるほどの宝石が鏤められた、ロレックスのゴールドを手首に光らせながら、男臭さを漂わせる姿は、同性の私から見ても、流石の魅力を感じずにはいられなかった。

私を早い時間に引き込んだ副島も、桐生の信望者であり、常に彼を引き立てる側に回ることが多かった。
 
歌舞伎町に高級クラブを持つ美貌のオーナーママや、資産家の未亡人といったお客が、代わる代わるに来店して、十数人のヘルプホストを従える桐生の姿は、ヤクザ組織の組長を思わせる雰囲気もあった。
 
反りが合わないホストとの揉め事で、時々、顔面に打撲の跡を留まらせていることもあった。それでも、桐生が喧嘩に負けることなど、まず考え難く、常に自信に溢れた表情で周りを眺めていた。
 
店全体の売り上げも徐々に上がっていく中で、私自身も、女性実業家や資産家といった種類のお客を増やし、それほどの客数を持たずとも、売上に於いては、ナンバー5以内が定位置となっていた。
 
そうこうする内に、歌舞伎町に舞い戻ってから、いつの間にか腐れ縁となった恋野の、連日に渡る執拗な電話攻勢にいつしか折れて、私も赤坂のネオレディースへと移籍した。
 
八十億の負債を抱えて倒産するまでは、私にとって、ホストとしての最後の仕事場と思っていたネオレディースであったが、数年間の時を過ごしたのち、再びの歌舞伎町へと、みじめな出戻りをする羽目となった。



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