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しばらくの間はヌーベルアムールに籍を置いていたが、前回と同じように副島に勧奨されて、ラムールの早い時間にも在籍することとなった。
 
他の仕事と比べて、非常に出入りの激しいホストの世界であるが故に、数年前とは殆んど顔ぶれが変わっている中で、桐生を含めた何人かのホストは未だに在籍しており、懐かしさから挨拶の言葉を交わした。
 
相変わらずの、隙の無さそうな出立ちではあったが、久々に見る桐生の様子には、気のせいか、どこか哀愁のような寂寥感が漂っていた。私が赤坂にいた数年の間に、桐生の身に起こった悪夢が、それまでは威風堂々としていた彼の心に、ある種の戦慄を覚えさせていることを知ったのは、もうしばらく後のことであった。

ラムールに出戻ってから数か月の時を経て、ようやく歌舞伎町の水を身体が思い出したのか、旧知のホストから紹介された資産家のお客によって、何度かのNo.1を張り、私なりの最盛期を迎えた。
 
その日、私をラムールに引き込んだ副島が、たまにはと、ここ暫くお客が来ず、身体を持て余している桐生を、ヘルプに付けて欲しいと頼んで来た。私の方には断る理由など全く無く、それこそ、自分がこの世界で生き残れる切っ掛けとなった桐生に、ヘルプに付いて貰えるなんて、光栄の至りと、ありがたく受け入れた。
 
久々に同じ席に座り、酒も入っていたせいなのか、桐生は、私が赤坂に移った後で、彼の身に起こった事を、まるで笑い話のように語り始めた。
 
数年前のその夜、店の営業が終わった後で、お客の一人を相手のマンションまでタクシーで送った。飲み足りないと言う彼女の押しに負け、そのマンションの部屋で、二人きりでグラスを傾けることとなった。
 
いささか酔いが回った桐生は、部屋の中にいるのが息苦しくなり、四階となる、その部屋のベランダへ出て、新鮮な空気を吸い込もうとした。ふらつきながら、狭いベランダの鉄柵に手を掛けて、眼下の道路を見おろすと、深夜である為か、人通りも少なく、車も殆んど走ってはいなかった。
 
そこで何を思ったのか桐生は、その柵を使って、鉄棒のように腹部で自分の身体を支えようとした。自分でも、何故そうしようと思ったのかは分からないが、無性に鉄棒の真似事をしてみたくなり、どうしても我慢が出来なかったとのこと。
 
そのままの姿勢でしばらく道路を見下ろしていたが、自分自身が満足したところで、いい頃合いとそこから降りることにした。
 
だが、鉄棒のような反動を付けることで、後ろ側に飛び降りるつもりが、鉄柵の縦棒部分に、思い切り膝をぶつけてしまい、その激痛に気を取られると、思わず身体を支えていた手を滑らせて、そのマンションから、真っ逆さまに落ちて行った。
 
十メートル以上の高さから落下しながらも桐生は、持ち前の度胸をもって、頭さえ守り切ることができれば命は助かると判断し、両拳を握り締めて裏に返すと、そのまま肘を曲げながら、柔道の前方受け身に近いかたちで、アスファルトの道路へと激突した。
 
多少は頭部を打ち付けたが、両肘が緩衝材となることで、何とか一命は取り留めることができた。その代りに、複雑骨折となった両肘の骨は粉々に粉砕されてしまい、ボルト・ワイヤー・プレートを使っての整復手術は、十時間近くに及んだ。
 
三か月の入院期間、自分でトイレを済ますことが出来ず、看護婦に下の世話をして貰ったが、自分の便は、気合で匂いを消したので、全く臭くなかったそうだ。私自身は、おそらく病院側で、防臭サプリメントを混ぜた食事を出していたのではないかとも思ったが、どこまでも気合だと言い張る彼の顔を立てて、あえて反論することなどしなかった。
 
退院後、リハビリを続けて、何とか仕事へ復帰できるまでには、一年近くも掛かったそうで、今でも時々、鈍い痛みが走ることもあるそうだ。
 
しばらくして、別の席に呼ばれた桐生が席を離れると、先ほどまでは黙って話を聞いていた、いつもヘルプに付いている郷田が、おもむろに復帰後の桐生の話を始めた。

郷田は関西出身のホストで、元々は実業団チームの野球選手として上京してきた男だった。プロで通用する程の資質はなく、引退後は経理の仕事に従事していた。それでも、プロ野球の投手を夢見て鍛え上げられた巨躯は、一般男子では太刀打ちが出来ないほどの腕力を備えていた。
 
復帰直後の桐生は、自由の利かなくなった両腕の影響もあるのだろう、しばらくの間は以前にも増して、柔らかな物腰で周囲の者たちに接していた。しかし、長期に渡って、自宅でリハビリを続けて行くうちに、転落以前の体力に近付いたことを自覚する中で、周りへの態度も、多少の威圧感が加わるようになっていった。
 
そんな頃、原因自体はよく分からぬが、激しく憤った桐生が、郷田に対して喧嘩を売って来たというのだ。桐生が空手の有段者であることは聞いていたが、腕に覚えのある郷田は、力任せに桐生を殴りつけた。
 
そのまま、殴られた衝撃から、もんどりを打ってひっくり返った桐生に、誰よりも驚かされたのは、殴った郷田本人だったそうだ。惨めな姿となって、その場所に突っ伏している男には、ヤクザどころか、警察官とも大立ち回りを演じたと噂される猛者の面影など、どこにも存在しなかった。
 
それからの桐生は、全盛時の名残は殆んど影を潜め、いつしか猫背で穏やかな風体の古参ホストになっていた。それでも若手ホストからの信望は有り、十人ほどのグループの相談役的な立場で仕事を続けた。
 
そして、数年の時が流れたある日のことだった。桐生と同じグループにいた若いホストが、ここ数日の間、彼が店に出てこないが、その理由を知らないかと私に尋ねてきた。
 
いつもなら、グループの誰かに休む理由を伝えるはずの桐生が、全くとして誰にも連絡を寄こさないのはおかしく、また、ここ数日間、どことなく元気が無かったので、いささか気になるとのこと。
 
電話を架けてみればと助言をするも、電話番号を知らず、部屋自体も、どこに住んでるのか全く分からないとのこと。冗談交じりではあったが、自殺なんてことも心配している様子が感じられたので、桐生と親交が深い、副島に相談してみるように伝えた。
 
数日後、副島からの報告を受けたラムールのオーナー、神野は、愕然としていた。桐生の財布には四十万円ほど入っていたとのことで、自殺としても、金銭的に困っていたとは考えられなかった。
 
司法解剖が終わって、遺体が戻ってきたが、桐生には複雑な家庭の事情があるとのことで、家族や親戚への連絡もできず、かたちだけの葬儀は会社が執り行った。
 
そうして荼毘に付された彼の遺骨は、副島が引き取ることとなった。

副島は、翌日の未明に、山手線新宿駅の始発へと乗り、品川から東海道線に乗り換え、さらに藤沢から、6時ちょうどの江ノ電に乗った。約十分ほどで江の島に着くなり、漆黒の闇の中を、ただ真っ直ぐに寒冬の江の島海岸へ向かって歩き続けた。
 
砂浜に着くと、そのまま波打ち際まで進み、桐生の遺骨が納まっている骨壺の蓋を開け、幾つかの骨片を海に投げ入れた。だんだんと量を増やして行き、最後は骨壺を逆さにして、全ての骨片を波間に振り撒いた。
 
気が付くと、海岸線の遥か向こうには早暁の光が差し始めていた。こうした行為は、以前から桐生は副島に対して、もしも自分が先に死んだら、その時は、絶対に海葬にして欲しいと頼んでいたからだそうだ。
 
朝日が頭を出し始めた水平線に向かって合掌し、桐生に最後の別れを告げた副島は、空になった骨壺を抱えて帰宅の途についた。
 
その日の夜、店に出勤した副島は、心底から寂しそうな面持ちで、この朝のことを私に話した。こうした話を聴くことで、いたく大きな哀傷感に包まれた私ではあったが、副島の様子に、なにかしら不可思議な違和感も覚えていた。
 
それは、悲痛な表情で桐生との別れを惜しむ副島の左腕に、なぜか、文字盤に宝石が鏤められた、時価数百万はするであろう桐生のロレックスが、眩いまでの黄金に光り輝いていたからであった。



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